最終更新日 2026年10月1日
2026年10月1日、カスタマーハラスメント対策が事業主に義務化されました。
厚生労働省の指針では、事業主に対して、カスハラに対する方針の明確化と周知、相談体制の整備、事実関係の確認や被害者への配慮、再発防止、悪質なカスハラへの対処体制などが求められています。
いま、多くの企業や自治体の研修ご担当者が、対応方針やマニュアルを整備し、社員・職員への周知や研修を進めているのではないでしょうか。
それは、もちろん必要なことです。
ただ、どれほど丁寧にマニュアルを整えても、現場では「これは正当なご指摘なのか、それともカスハラなのか」と迷う場面が必ず生まれます。
人材育成に長く携わってきた立場から、一つだけ問いを投げかけたいと思います。
方針を決め、周知し、研修を実施した。
それで、現場の担当者は「明日の電話」に向き合えるでしょうか。
架空のケースですが、こんな場面を想像してみてください。
研修の翌週、窓口担当のAさんに、同じお客様から3度目の電話がかかってきました。
最初の苦情には、たしかにこちらの不手際がありました。Aさんは謝罪し、今後の対応も説明しました。
それでも電話は続き、口調は回を追うごとに強くなっています。今日の通話は、もう40分を超えました。
これは、正当なご指摘の延長なのでしょうか。
それとも、すでにカスハラなのでしょうか。
Aさんは、このまま話を聴き続けるべきでしょうか。それとも、上司へ相談すべきでしょうか。
研修で「カスハラの定義」や「対応フロー」を学んでいたとしても、Aさんは迷うかもしれません。
そして、相談を受けた上司も、同じように迷うかもしれません。
厚生労働省も示しているように、顧客や住民から寄せられる苦情のすべてがカスハラになるわけではありません。
商品やサービスに問題があれば、お客様が改善を求めるのは当然です。自治体であれば、住民から厳しいご指摘をいただくこともあるでしょう。
一方で、要求の内容や言動の手段・態様が社会通念上許容される範囲を超え、それによって働く人の就業環境が害されるのであれば、組織として働く人を守らなければなりません。
難しいのは、その境界線がいつも明確とは限らないことです。
相手との関係、これまでの経緯、要求の内容、言動の程度。その場の状況や文脈によって、必要な判断は変わります。
だから、迷うこと自体は悪いことではないと私は考えています。どちらにも大切なものがあるからこそ、人は迷うのです。
問題は、その迷いを担当者一人に抱え込ませてしまうことです。
カスハラ研修で本当に育てたいのは、「定義を覚えた人」だけではありません。
必要なのは、
「迷ったときに一人で抱え込まず、判断できる人」
そして、
「その判断を支えられる職場」
ではないでしょうか。
カスハラ対策を考える、研修ご担当者への4つの問い
4つ目の問いは、見落とされがちです。
人は、研修で教えられたことだけから学ぶわけではありません。職場で誰が評価され、どんな行動が褒められているのかからも学んでいます。
話を早く切り上げる人が「上手い」と評価される職場では、研修でどれほど「正当なご指摘には耳を傾けましょう」と伝えても、現場の行動はなかなか変わりません。
もし、まだ十分ではないものがあるとすれば、カスハラ対策が「研修という点」で止まっているのかもしれません。
もちろん、研修は重要です。
カスハラとは何か。正当なご指摘とどう違うのか。どのような判断軸を持つのか。どこから上司や組織へエスカレーションするのか。
こうした基本的な考え方を、まずFormal Learning(正式な研修)の場で共有することには大きな意味があります。
しかし、研修で扱ったケースとまったく同じ出来事が、現場で起きるとは限りません。
だからこそ、研修の外にも学びの場が必要です。
実際に経験した対応を振り返る。
短い動画やPodcastなどを使って、必要なときに学び直す。
社内のチャットやグループウェアなどで、「こんなケースがあった」「こう対応した」と経験を共有する。
上司や同僚と、「ほかにどんな対応が考えられただろうか」と対話する。
日常の仕事や経験から学ぶInformal Learning。
そして、周囲との対話や共有から学ぶSocial Learningです。
研修で学ぶ。
職場で経験する。
振り返る。
仲間から学ぶ。
そして、もう一度実践する。
この流れを意図してつないでいく。
一日の研修という「点」ではなく、学び続ける「旅」として設計する。
私は、こうした一連のプロセスを、カスハラ対応の「Learning Journey(学びの旅)」として捉えることが大切だと考えています。
カスハラ対策では、一度の研修で知識や対応方法を教えるだけでなく、現場での経験を振り返り、職場で共有し、必要なときに学び直し、再び実践する。正解が一つではないテーマだからこそ、人と組織が経験から学び、判断を更新し続けられる仕組みが必要なのです。
このLearning Journeyに新しい可能性を加えているのが、生成AIです。
ただし私は、AIに「これはカスハラですか?」と尋ね、その回答をそのまま組織の判断にすればよいとは考えていません。
カスハラ対応には文脈があります。最終的な判断までAIに委ねてしまえば、人が考え、迷う機会まで手放すことにもなりかねません。
一方で、AIは考えるためのパートナーにはなれます。
例えば、研修用に用意したケースについて、
「顧客側から見ると、どう見えるだろうか」
「担当者には、どのような負担が生じているだろうか」
「上司には、どのような対応の選択肢があるだろうか」
と、異なる立場から考えてみる。
ケーススタディの論点を広げたり、ロールプレイの相手として活用したりすることも考えられるでしょう。
もちろん、実際の業務でAIを利用する際には、個人情報や機密情報の取り扱いを含め、それぞれの組織のAI利用ルールに従うことが前提です。
大切なのは、AIに判断を委ねることではなく、AIも使いながら人の判断を磨いていくことだと思います。
義務化を受けて、多くの組織が方針をつくり、マニュアルを整備し、研修を実施していくでしょう。
しかし、本当に大切なのは、その後なのかもしれません。
現場で迷ったとき、相談できる人がいる。
経験したケースを振り返る機会がある。
他の社員・職員の経験から学べる。
必要なときには、学び直すことができる。
AIという新しい学習パートナーも活用できる。
そして、現場で起きたことが組織の経験知として蓄積され、必要に応じて対応のあり方や評価のあり方そのものが見直されていく。
そこまでつながって、初めてカスハラ対策は「現場で生きる仕組み」になるのではないでしょうか。
私はこれまで、
「人は強くない。だから仕組みがいる。」
ということを大切にしてきました。
難しい顧客対応を、一人ひとりの経験や我慢強さ、コミュニケーション能力だけに委ねない。
人を育てる。
同時に、その人を支える組織をつくる。
そして、職場そのものが経験から学び続けられるようにする。
正解が一つではない現場だからこそ、人と組織が経験から学び、対話し、判断を更新し続けられるLearning Journeyをつくる。
これが組織開発にもつながっていくのではないかと思っています。
10月1日の義務化を、「対応しなければならない制度が一つ増えた」で終わらせるのか。
それとも、
「人を守りながら、顧客や住民とよりよい関係をどうつくるか」
を問い直す機会にするのか。
義務化の日は、ゴールではなくスタートです。
カスハラ対策を、人と組織の「学び方」そのものを見直すきっかけにしてみてはいかがでしょうか。
アイル・キャリアでは、研修そのものだけでなく、研修後の振り返りや管理職の関わり方も含めて、
「現場で生きる」クレーム対応、カスハラ対策をご一緒に考えています。
「研修はしたけれど、その先をどうするか」を考えたい方は、こちらもご覧ください。
<<前の記事 次の記事>>
株式会社アイル・キャリア代表取締役。
2006年の創業以来、企業・自治体の人材育成に携わり、研修・人材開発の現場に立ち続けています。
自身も一つの研修との出会いによって人生が大きく変わった経験から、
「人には可能性がある」ことを人材育成の原点としてきました。
20年間の実践を通じてたどり着いたのは、学びを一過性のものにせず、
人と組織が変わり続けるためには、意志や熱意だけではなく「仕組み」が必要であるという考えです。
現在は、AI時代だからこそ大切にしたい人間らしさと、
一人ひとりの持ち味や可能性を活かす人材開発を追究しています。