多くの企業や自治体において、卓越した成果を上げ続ける「優秀な人材」は組織の推進力として高く評価される1。彼らは高い責任感を持ち、困難な課題を自ら解決し、組織の業績や行政サービスの質を担保する存在である1。しかし、その輝かしいパフォーマンスの影で、組織の持続可能性を揺るがす深刻な問いが投げかけられている。
「その優秀な人が限界まで頑張り続けなければ成果が出ない組織は、本当に健全なのだろうか1」
「優秀な人に仕事が集中している」「後継者育成が一向に進まない」「特定のキーパーソンが辞めたら業務が回らなくなる」という課題は、多くの人事担当者や管理職、経営層が共通して抱える痛切な悩みである1。一見すると、強いエースがチームを牽引しているように見える組織であっても、実態は「個人の超人的な努力」という極めて不安定な土台の上に成り立っているケースが少なくない1。
本稿では、人材育成や組織開発の事業を展開する株式会社アイル・キャリアが培ってきた設計思想に基づき、特定の強い人に依存する組織がはらむリスクを解き明かす。そして、優秀な人材の努力や成果を一切否定することなく、組織が真に目指すべき「持続可能なシステム」への変革プロセスを提示する1。
多くの組織において「属人化」が解消されないのは、個人のスキル不足や怠慢が原因ではない1。真の原因は、優秀な人ほど負荷が集中し、かつその負荷がブラックボックス化しやすいという組織の「構造的エラー」にある1。
この現象は、組織心理学において「パフォーマンス・パニッシュメント(有能さへの処罰)」と呼ばれる1。成果を出し、高い信頼を獲得した個人に対し、その有能さに比例して業務量や難易度の高い課題が雪だるま式に集中し、結果として「仕事ができる人ほど、不均衡なまでの負荷を背負わされて損をする」という逆転構造を指す1。
このストレスとバーンアウト(燃え尽き)の力学は、仕事のストレスとワークエンゲージメントを説明する「仕事の要求度と資源(JD-R)モデル」によって詳細に分析できる1。
| 要素 | 構成内容 | 優秀な人材に起こる「設計の不備」 |
| 仕事の要求度 (JD) | 業務量、時間的プレッシャー、心理的負担、高度な判断の必要性1 | 「彼ならできる」という周囲の期待から、難度の高いタスクや突発的な重要業務が集中的にアサインされ、要求度が極大化する1。 |
| 仕事の資源 (JR) | 裁量権、適切なフィードバック、上司・同僚の支援、十分な時間、学習機会1 | 「自己完結できるはずだ」という過信から、具体的な支援やフォローアップといった組織的資源が意図的に削減され、実質的に孤立する1。 |
| 帰結 | 燃え尽き(バーンアウト)またはエンゲージメントの向上1 | 資源を大幅に上回る要求が恒常化することで、システムとしての安全率を割り込み、突然の離職やメンタル不調に至る1。 |
皮肉なことに、組織がエースの能力を信頼すればするほど、彼らに対する具体的な支援やマネジメントの優先順位は下がり、放置(孤立)されやすくなる1。これは最も価値を生み出すリソースに対して、最もメンテナンスを怠るという致命的な設計ミスにほかならない1。
さらに、優秀な人が持つ「知識や判断基準」が言語化されず、個人の頭の中に閉じたまま(暗黙知)になっていることも、属人化を強固にする原因である5。暗黙知を形式知として組織内で共有するプロセスが評価制度や組織文化として定義されていない場合、個人は自身の市場価値や存在意義を守るために、意図せず知識をブラックボックス化させてしまう動機さえ生じてしまう4。
| 課題項目 | 発生割合 | 組織に与える影響 |
| 引き継ぎ資料やマニュアルが不足している | 39.4% | 前任者のノウハウや経験則(暗黙知)が継承されず、新任者が手探りで業務を行うため効率が激減する5。 |
| 業務の属人化が進んでいる | 35.8% | 特定のベテラン職員しか手順を知らない業務が点在し、ミスや手戻りが発生しやすい4。 |
| 業務フローが整理されていない | 26.6% | 自部署の仕事がどこから来てどこへ流れるのか不明瞭になり、全体の認知負荷が高まる8。 |
マニュアルや業務フローが整備されないまま、前任者の高い個人技のみで回っていた業務は、異動が発生した瞬間にナレッジロス(知識の断絶)を引き起こす2。結果として住民サービスの質が低下するだけでなく、現場の負担増による離職という悪循環を招くのである2。
デジタル技術、特に生成AIの普及は業務の平準化を促すと思われているが、適切な組織開発を伴わなければ、むしろ「新たな属人化」を加速させる11。 AIを実務に活用するためには、人間の頭の中にある判断基準や文脈を、AIが処理しやすい「プロンプト」や「指示データ」という形で言語化・形式知化しなければならない6。しかし、業務がブラックボックス化した組織では、AIの活用手順や指示の出し方自体が特定メンバーの勘やスキルに依存してしまう6。
このように、知識や経験を個人に閉じ込める組織は、最新テクノロジーの恩恵を組織全体で享受できず、むしろ個人の能力差による「AI格差」と新たな業務集中に苦しむことになる11。
| 概念 | 知識労働・組織マネジメントにおける適用例 | 期待される組織効果 |
| フェイルセーフ (Fail-safe) | 重要な案件や顧客対応において、常に「主・副」の複数担当制(ダブルキャスト)を徹底する1。 | 「万が一、自分が倒れても組織は回る」という心理的安心感をエースに与え、突発的な離脱リスクを最小化する1。 |
| フールプルーブ (Foolproof) | 複雑な意思決定基準をドキュメント化し、誰もが「この条件を満たせば承認」と判断できるワークフローを作る1。 | 経験の浅い職員でも迷いや判断の負担を大幅に軽減され、ミスを未然に防止する10。 |
| 冗長化 (Redundancy) | ベテランの持つ「暗黙知」を対話やAIプロンプト等で定期的にアウトプットし、チーム共通の「形式知」として資産化する5。 | 新人・異動者の戦力化スピードが劇的に向上し、誰でも代替可能な柔軟な体制が構築される10。 |
こうした仕組みを整えることは、エース人材を軽視することでは決してない1。むしろ、「誰がやっても80点の成果が出る仕組み」を土台として整備するからこそ、優秀な人材は「誰にでもできる調整業務や定型処理」から解放される1。その結果、彼らは自身のエネルギーを、より創造的で難度の高い業務、あるいは次の世代を育成する仕組みづくりといった「真に付加価値の高い領域」へと集中できるようになる1。
私たちは、このアプローチの中に組織開発の極めて重要な真理を見出している。
優秀な人材の存在や、彼らが出す成果、そしてそれを支える努力は尊く、組織にとって不可欠である1。しかし、「優秀な人がいること」と「優秀な人に依存すること」は、本質的に全く異なる事象である1。組織の永続性と強靭さを担保するためには、「個人」の強さに頼るのをやめ、普通の人が活き活きと働き、学習し、力を発揮できる「仕組み」の構築へと舵を切らなければならない1。
そのためには、単にツールを導入したりマニュアルを整備したりするだけでなく、メンバー同士が「自分のノウハウや気づきを、他の仲間のために共有したい」と思える信頼関係やカルチャー(知識を出したくなる関係性)を醸成することが極めて重要である13。仕組みが機能するための燃料は、メンバー間の心理的安全性と、共通の目的に向かう対話のカルチャーにほかならない13。
株式会社アイル・キャリアは、この「人は強くない。だから仕組みがいる。」という思想を軸に、企業や自治体の皆様とともに、誰もが成長できる組織の土壌づくりを支援していく1。
本稿は、私たちが大切にしている思想をお伝えする「設計思想シリーズ」の第1回である1。今後はさらに以下のような問いを掘り下げ、組織開発の本質へと迫る議論を展開していく予定である1。
引用文献
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